サインボール

・中西太

・平成15年11月16日

・瑞穂球場

・無料(数人)


 中西太氏は、高松一高時代から「怪童」と呼ばれ、仰木彬選手、豊田泰光選手、稲尾和久選手らとともに西鉄黄金時代を築いた強打者です。
 昭和27年(1952年)に西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)に入団。1年目からレギュラーとして活躍し、新人王を獲得。2年目の昭和28年(1953年)には打率3割4部1厘、36本塁打、86打点、36盗塁の活躍で、史上3人目となる「3割30本30盗塁」を達成し、ホームラン王と打点王の2冠のタイトルを獲得しました。以後4年連続ホームラン王をはじめ、首位打者、打点王などタイトルを総なめ、西鉄ライオンズのリーグ優勝・日本一に大きく貢献しました。
 昭和37年(1962年)より、引退するまでの8年間、監督兼任のプレイング・マネージャーとなり、昭和38年にはリーグ優勝を果たしています。
 通算成績は、1388試合、4116打数、1262安打、244本塁打、785打点、打率3割0分7厘。首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回、MVP1回、ベストナイン1回受賞。そして平成11年(1999年)には競技者表彰として、野球殿堂入りを果たしました。
 このお宝は、平成15年11月16日、瑞穂球場で行われた「プロ野球マスターズリーグ」の「名古屋80D’sers対福岡ドンタクズ」の試合で、GETしました。中西氏は、ヘッドコーチとして福岡ドンタクズに加入していました。
 「プロ野球マスターズリーグ」とは、ゴルフのシニアツアーのプロ野球版で、日本プロ野球のOB選手たちが5チームに分かれ、計40試合のリーグ戦を戦って優勝を目指す、新しいプロ野球リーグです。最初は引退した選手の野球を誰が見るかと、冷めた意見がありましたが、往年の名選手たちがこぞって参加しているだけあって、最初のシーズン(2001−2002)の総入場者数が約44万人、2年目のシーズン(2002−2003)の総入場者数が約48万人と、予想以上の人気でした。
 私のお目当ては、当時「神様、仏様」とならび賞された稲尾和久監督をはじめとする、福岡ドンタクズの面々でした。主催チームである名古屋80D’sersは、いつも試合前バックネット裏でサイン会を行うため、いつでも貰えるので、それまでは3塁側の内野席に陣取って、福岡狙いでした。
 でも、ここ最近の本音ですが、この歳でサインを貰うために声を掛けるのが恥ずかしく感じるようになり、なかなか言い出せなかったです。
 このまま何の成果もなく終りそうでしたが、試合前の公開練習終了直前、ちょうど中西氏がファンに捕まってサインに応じるところに、うまく混じることが出来、書いてもらいました。

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