サイン色紙
・舞の海秀平
・平成12年1月30日
・ナゴヤハウジングセンター植田会場
・無料(数人)
舞の海秀平さんは、小柄な身体にもかかわらず、華麗な相撲で人気を集めた関取です。『八艘(はっそう)跳び』『猫だまし』など多彩な技を繰り出すことから『技のデパート』と呼ばれました。
平成2年(1990年)に出羽海部屋に入門、同年の五月場所で初土俵を踏みました。角界きっての小兵(背丈は私とほぼ同じ)ながらも、翌平成3年(1991年)三月場所で新十両に昇進、同年九月場所には新入幕と、トントン拍子に出世しました。最高位は小結で、技能賞を5回受賞しました。しかし、平成11年(1999年)の11月場所で負け越し、これを機に現役を引退しました。
このお宝は、住宅展示場のナゴヤハウジングセンター植田会場で行われた文化講演会でGETしました。この文化講演会は、日曜日が五日ある月に行われ、今回は舞の海さんを講師に迎えて、「夢は必ずかなう」と言うテーマで、語って貰いました。引退したとはいえ、現役時代は多彩な相撲で大いに沸かし、現在も解説やテレビ番組のゲスト出演など引っ張りだこの人気者ですので、会場には多くの人が集まりました。
舞の海さんは小さいと子からずっと相撲をやっていましたが、アマチュア時代それ程目立った選手ではなく、プロ入りも考えていませんでした。しかし大学四年の時、プロ志望の後輩の死をきっかけに、自分の今までの相撲人生を見つめた結果、周囲の反対を押し切り、教員の内定を蹴って、プロ入りを決意しました。しかし決意しても、身長173センチ以上無ければ新弟子検査に合格できないため、足りない分を頭にシリコンを入れて無理矢理合格しました。「シリコンを入れた・・・」と簡単に言いますが、それはもの凄く痛く、夜眠れなかったそうです。
デビュー後は、小さいため、相手が取りづらく、順調に出世しましたが、幕内クラスだとそれだけでは通用しなくなり、そこで数々の技を繰り出し、闘うようになりました。見ている方は奇抜な技か飛び出すので面白いですが、やっている本人は必至だったそうです。
平成9年(1997年)名古屋場所の小錦戦で、左ひざじん帯を損傷、全治4ヵ月の重傷を負い、引退の危機に見舞われましたが、リハビリ先での医師と重度障害者の頑張りに触れ、また小錦関が怪我させたことをずっと気にしないためにも、リハビリに精を出し、同年九州場所では、見事に勝ち越しを決めました。
「熱い気持ちが自分自身の中にあれば、たいていの夢は達成できるはず」
と、舞の海さんは語っていましたが、その夢をかなうためには並大抵の努力じゃ足りないと痛烈に感じました。
講演会終了後、私は出待ちをして、舞の海さんにサインをして貰いました。私と同じことを考えている人が結構いたので、日付を書いてもらうことや、ツーショット写真をお願いすることがちょっと出来ませんでした。それが少し残念です。
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