サイン色紙
・牛島和彦
・平成9年11月9日
・豊田ビル6F豊田ホール
・無料(抽選で100名)
牛島和彦さんは、高校時代、波商高校(現、大体大浪商高)のエースとして、“ドカベン”香川伸行(元福岡ダイエーホークス)選手とバッテリーを組み、昭和53年(1978年)の春と、昭和54年(1979年)の春・夏と、計3回甲子園に出場。昭和54年(1979年)の春の選抜大会では準優勝という好成績を残しました。
昭和55年(1980年)、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。一年後の昭和56年(1981年)に中継ぎ投手として頭角を現し、翌年からはリリーフエースとして大活躍。その鋭いフォークボールと頭脳的なピッチングで、昭和57年(1982年)のリーグ優勝に大きく貢献、昭和59年(1984年)は最多セーブ賞(29セーブ)を獲得しました。
しかし、昭和62年(1987年)、3度の三冠王に輝いた当時ロッテオリオンズの大打者、落合博満選手(平成16年現在は中日ドラゴンズ監督)との、上川誠二選手、平沼定晴選手、桑田茂選手を含めた4対1の大型トレードでロッテに移籍。しかしそこでも実力を発揮し、移籍一年目で最優秀救援投手賞(26セーブポイント)を獲得、翌昭和63年(1988年)は最多セーブ賞(25セーブ)に輝きました。
平成5年(1993年)現役引退。通賛成席は53勝64敗126セーブ。最優秀救援投手賞1回、最多セーブ賞2回獲得しています。
引退後は球界きっての理論派野球解説者としてならし、平成16年(2004年)10月18日、低迷する横浜ベイスターズの監督に就任しました。
このお宝は、よみうりサービスプラザ「JOY」の開店一周年記念イベントで行われた、「水野雄仁・牛島和彦トークショー」でGETしました。ちなみによみうりサービスプラザ「JOY」とは、読売新聞のアンテナショップみたいなもので、ジャイアンツグッズや読売新聞発行の書籍を販売してます。
イベント内容は、牛島さんと水野さんが、今年(平成9年当時)のペナントレースのこと、自分たちの現役時代のこと、気が早いが来年(平成10年)のペナントレースのことを、いろいろ話すというものです。その他野球教室に記念撮影会(ちなみにこの2つは事前申し込みが必要で、自分はただ見るだけでした)、大抽選会と、かなり豪華なイベントでした。トークの内容は大変面白く、2時間ありましたが文字通りあっという間に過ぎてしまいました。
印象深かったのは、プロ入り当初、水野さんは自信満々で巨人軍に入団したとは対称に、牛島さんはプロでやっていくかどうかとても心配してたこと。春のキャンプ中、ブルペンで小松辰雄投手と一緒に投げた時、あまりの球の速さに、ますます自信を失くしたと言っていました(しかし、当時球速150キロ投げた”速球王”小松投手と比べたら、誰でも自信を失くすと思うけど・・・)。牛島さんはプロ野球選手の中では華奢な部類に入りますし、こういう不安に打ち勝つため、鋭い変化球と頭脳派ピッチングを生み出したのだなと、私は思いました。
また、牛島さんは現役時代、試合を締めくくるリリーフとして、いろいろ気苦労している話をしていましたが、その時イベントの司会をしていた女性は地元CBCの、牛島さんが現役時代にドラゴンズの番組を担当していたアナンサーで、牛島さんに対する遠回しのツッコミを聞いてると、爽やかで知的で誠実そうなイメージがある牛島さんですが、現役時代は相当遊んでいたみたいです。私もその噂を聞いたことがあるので、(やっぱり、あの話は本当だったんだな)と思いました。
イベント最後の抽選会で、400人集まったお客さんの中から、半分の200人がゲストのサイン色紙が当たりました。そのうち半分が牛島さんので、当然残り半分は水野さんです。お宝は、このとき入手しました。水野さんは、記念撮影会の終了のどさくさにまぎれて貰ったのですが、牛島さんには貰い損なっていたので、色紙があったてとってもラッキーでした。
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